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中村屋(中仙道)のすぐそばに八風街道の道標がある。八幡からここを通って八日市、紅葉の名所永源寺を経て八風峠から伊勢への道である。
中村屋からの近辺が蒲生野で、3Kmあまり行った所に小高い船岡山があり、その頂上の平滑な所に「万葉集」の
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る 額田王
紫草のにほえる妹をにくゝあらば人妻ゆえにわれ恋ひめやも 大海人皇子
が万葉仮名で原本のまま自然石に刻まれている。1300年前の相聞歌の舞台になった所である。
その道を逆に琵琶湖方面に向うと、安土城跡のある安土山を望み、正面は八幡山である。
信長の安土城が消失した4年後、天正14年、秀次は八幡城を築城し八幡町を開く。その折、安土城下の商人達は八幡城下に移り住んだといわれている。しかし、秀次の失脚とともに城下町としての体制は崩壊した。
安土城跡は当時の石垣をそのままに残し、八幡城跡は立派な八幡堀が当時をしのばせてくれる。
廃城により保護者を失った八幡商人は天秤棒に命をかけ流通の世界を究め、全国へと行商をし、近江商人発祥の原点となっていったのである。今も歩いているとふと天秤棒をかついだ行商人が顔を出しそうな気がする。
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| 水郷めぐり |
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近江八幡から安土にかけての西の湖一帯には日本最大の水郷地帯が広がり、ゆったりと屋形船などの観光船で巡っていただけます。
のどかな田園とヨシの群生地帯に囲まれ迷路のように続く水路は、四季折々の彩りで自然の移り変わりを楽しませてくれます。
日本最大の琵琶湖をお預かりしている滋賀県は別名「湖都」とも呼ばれています。
昭和24年に風光明媚で自然を楽しめる地域である「琵琶湖八景」のひとつとして『春色 安土八幡の水郷』が制定されました。
平成17年には、人々の暮らしの中で育まれた魅力ある風景を後世に残そうと、文化財保護法を改正し新設された「重要文化的景観」の第1号に『近江八幡の水郷』が選定され、身近な風景の重要文化財として環境や景観の保全が図られています。
(20分)( )内は中村屋から車でおおよその所要時間です。
水郷巡りの詳細:近江八幡観光物産協会
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春の景色 |
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夏の景色 |
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| 八幡城跡 村雲御所瑞龍寺 |
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八幡城は豊臣秀次が八幡山山頂に築城しました。現在、本丸跡には秀次の生母が秀次公の菩提を弔うために京都に建立した村雲御所瑞龍寺が移築されています。山下のパーキングからロープウェイ4分で着きます。
その境内からは長命寺のある長命寺山を手前に、雄大な琵琶湖を一望できます。
(20分)
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| 八幡堀 |
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秀次は八幡開町と同時に、城の防備と琵琶湖を往来する荷船を八幡に寄港させるための運河として八幡堀を設けました。この堀は帆を立てた商船が往来し、商人たちの熱気に満ちあふれ、八幡商人の繁栄や地場産業の発展にも大きな役割を果たしました。
現在では遊歩道が設けられ、桜並木や花菖蒲が美しい、近江八幡を代表する景観として親しまれています。
(20分)
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| かわらミュージアム |
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瓦について詳しく知りたい方、瓦の種類・瓦の作り方・日本各地の瓦・世界の瓦等々、そんな方は是非一度「かわらミュージアム」へお越しください。
かわらミュージアムは、近江八幡のまちなみの中にあって、その景観の重要な要素を形成する瓦屋根に関して、その歴史や製作技法・その芸術性などを紹介し、「はちまんかわら」のもつさまざまな側面を多くの方に知っていただき、その成果を新たなまちづくりに生かせてもらえるようにと、平成7年にオープンしました。体験コーナー有り。
(20分)
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| 近江商人の町並み(伝統的建造物群保存地区) |
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城下町近江八幡は近江商人発祥の地として栄えました。八幡堀北側の山麓に武家地、堀の南側に職人町、商人町の町人地が配され、鍛冶屋町、鉄炮町、大工町、畳屋町、魚屋町などの町名が城下の名残を今にとどめています。
江戸時代中期から明治時代に建てられた商家の白壁の土蔵群が全国的に活躍した近江商人の往時の隆盛を偲ばせています。
(20分)
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| 白雲館(旧八幡東学校) |
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明治10年(1877)年に建設された学校建築物です。八幡商人の熱意と区民の協力により、西洋建築の様式と、日本の伝統技術をとり入れ建築されたものです。近江八幡市では、先人の残したこの歴史的文化遺産を後世に引き継ぐため、地域づくり推進事業の一つとして、この建築物の保存修理を行ないました。先人の学校づくり、まちづくりへの熱意に学び、人と人の出会いから新しい文化を育てる交流の場として、また、まちづくりの情報発信の場として活用するものです。
(20分)
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| 安土城跡(安土町) |
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安土城は、織田信長が天下統一の拠点として琵琶湖岸に築いた大城郭です。しかし完成からわずか3年で焼失してしまいます。現在、発掘調査とその成果をもとに環境整備が進められています。
(20分)
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| 万葉の森船岡山 |
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相聞歌を刻んだ歌碑が建立されています。蒲生野の狩猟の様子を描いた陶板レリーフ、約100種類の万葉植物を歌とともに紹介した万葉植物園があります。
(10分)
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| 観音寺城跡 |
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繖(きぬがさ)山に築かれた宇多天皇を祖とする一族、近江源氏こと佐々木氏の居城跡で、国指定の史跡です。戦国時代に六角高頼が築城したと伝えられ、日本一の規模を誇る山城となりました。頂上からは万葉の舞台である蒲生野一円が見渡せます。
(10分)
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| 瓢箪山古墳 |
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滋賀県最大の5世紀の前方後円墳で、国指定の史跡です。
(10分)
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| 石塔寺(蒲生町) |
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石塔寺は聖徳太子が建立されたと伝えられています。三重石塔は高さが7.5mにも及ぶ花崗岩で作られた日本で最大最古のもので、天智8年(669年)に百済から渡来した文化人たちが蒲生野に移住し建てたと推測がなされています。
[拝観料 大人300円 小人100円]
(20分)
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| 源義経元服の地(竜王町) |
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竜王町北部を通過する国道8号線はかつての中仙道。
その沿道には、鞍馬山で修行を終えた源義経が京より下り奥州へ向かう途中、鏡宿(白木屋跡)に泊まり、近くの池で前髪を落として元服したと伝えられている「源義経元服池」があります。烏帽子(えぼし)をかけたと伝えられる「烏帽子掛松」や「盥(たらい)」も残存しています。
また、万葉時代の女流歌人として有名な「額田王」の父、鏡王が神官を努め、新羅の王子でこの地に優れた製陶技術を伝えた天日槍を祀る「鏡神社」もあります。
本殿は国の重要文化財。
(15分)
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鏡神社 |
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源義経元服池 |
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| 湖東三山 |
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琵琶湖の東に位置する湖東三山は比叡山延暦寺の末寺で鈴鹿山脈を背に北から西明寺、金剛輪寺、百済寺の順に並んでいます。
季節折々、豊かな自然とともに色々な顔を見せてくれます。特に秋は絶品とも言える紅葉が訪れる人々の気持ちを鮮やかに彩ってくれます。
●西明寺(龍癒山・西明寺:さいみょうじ)(甲良町)
承和3年(834)三修上人により開山されました。織田信長の比叡山焼き討ちの際に当寺も多大な損害を受けるが幸い本堂、三重塔は被害を免れ現在にいたっています。
本堂は国宝の第1号に指定されています。
●金剛輪寺(松峰山・金剛輪寺:こんごうりんじ)(秦荘町)
天平13年(741)行基により創建の古刹で後の時代には円仁が天台密道場として再興しました。弘安11年(1288)建築の本堂大悲閣は国宝に指定されています。寛元4年(1246)には三重塔が建てられました。
春は石楠花、梅雨時は紫陽花、秋は「血染めの紅葉」として有名です。
●百済寺(釈迦山・百済寺:ひゃくさいじ)(東近江市)
聖徳太子の発願によって創建された古刹で百済の僧が住職を勤めたのでこの名が付きました。織田信長によって壊滅されるが後に徳川家康によって復興されました。
秋の紅葉や春の桜が有名です
それぞれが歴史を誇り、その景色、景観とともに由緒有る多数の仏像が訪れる人の気持ちを和ませてくれます。
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西明寺 |
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金剛輪寺 |
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百済寺 |
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